沼館駅(ぬまだてえき)は、秋田県平鹿郡雄物川町沼館(開業時は旧・平鹿郡沼館町沼館、現・横手市雄物川町沼館)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。
尚、駅名表記は「沼館」と「沼舘」が混在しているが、本項は羽後交通横荘線の研究書『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行)にて採用されている「沼館」にて記載する。
歴史
- 1918年(大正7年)8月18日:横荘鉄道横手駅 - 当駅間開通に伴い開業。一般駅。
- 1919年(大正8年)7月15日:当駅 - 舘合駅間延伸開通に伴い中間駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日:鉄道会社名を羽後鉄道に改称。路線名を横荘線に制定。それに伴い羽後鉄道横荘線の駅となる。
- 1947年(昭和22年)
- 7月23日:豪雨による路盤および橋脚損壊により横荘線全区間運休、当駅も営業休止となる。
- 7月29日:横手駅 - 舘合駅間が復旧、当駅も営業再開となる。
- 1952年(昭和27年)2月15日:鉄道会社名を羽後交通に改称。それに伴い羽後交通横荘線の駅となる。
- 1969年(昭和44年)1月16日:当駅 - 舘合駅間部分廃線に伴い終着駅となる。
- 1971年(昭和46年)7月20日:横荘線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造
廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、当駅 - 舘合駅間部分廃線前までは列車交換可能な交換駅であった。駅舎側(西側)が下り線(老方方面)、外側(東側)が上り線(横手方面)となっていた。そのほか側線として、下り線から西に分岐し駅舎との間を通過する機回し線を1線と、機回し線横手方から西に分岐し駅舎南側に至る行き止りの側線を1線有していた。浅舞駅とほぼ同じ配線となっていた。
職員配置駅となっていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム北側の階段とを結ぶ構内踏切で連絡した。ホームは待合所を有した。待合所の隣、出入口側のホーム上に腕木式信号機が設置されていた。
列車交換の通標は浅舞駅 - 当駅間は「□」、当駅 - 羽後大森駅間は「△」であった。
駅名は、駅舎出入口上部に掲示されていた駅銘板には「沼館駅」と表記されていたが、羽後交通の資料には「沼館」「沼舘」の双方が使用されていた。
駅周辺
旧・雄物川町(さらに以前は沼館町)の中心駅であった。
- 秋田県道13号湯沢雄物川大曲線 - 一部区間には当線の線路跡が転用されていた。
- 雄物川町役場 - 現・横手市役所雄物川地域局。
- 雄物川図書館
- 雄物川郵便局
- 秋田県立雄物川高等学校
- 雄物川町立雄物川北小学校 - 現在は横手市立雄物川小学校へ統合されて廃校となっている。
- 雄物川郷土資料館 - 1999年(平成11年)時点では、敷地裏手にダルマ型転轍機と矢羽型ポイント標識が展示保存され、館内には当駅の写真が展示されていた。
- 沼柵跡 - 推定地は現・蔵光院の建築地点(別説あり)。後三年の役の舞台で、清原家衡の拠点の1つであった。
- 雄物川
駅跡
1999年(平成11年)時点では、開通記念に植えられた桜の大木が残っていた。また火の見櫓が建築されていた。2002年(平成14年)3月には、駅跡の道路の一角に、雄物川町(当時)により「横荘線 沼舘駅跡」と記載され、沿革も記された白い記念碑が建立された。2007年(平成19年)5月時点、2010年(平成22年)10月時点でも記念碑は同様であった。
また、1996年(平成8年)時点では、浅舞駅跡附近から当駅跡附近までの線路跡は農免道路及び県道13号線となっていた。2007年(平成19年)5月時点、2010年(平成22年)時点でも同様であった。往時を偲ぶことは出来ない状況であった。
隣の駅
- 羽後交通
- 横荘線
- 羽後里見駅 - 沼館駅 - 船沼駅
脚注
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧




