深尾 重良(ふかお しげよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。土佐山内氏の家臣。土佐藩首席家老。土佐佐川初代領主。
生涯
深尾家は深尾刑部高義が近江国深尾庄の地名を姓とした。
弘治3年(1557年)、誕生。重良は美濃国山県郡太郎丸城主で、初め土岐氏に、次いで織田信忠に仕えたが、本能寺の変後は信孝、さらに溝口秀勝に従った。その間しばしば武功を挙げた。
天正13年(1585年)、山内一豊が近江長浜3万石の領主になった際、招かれ200人扶持を受け客分となる。天正18年(1590年)、小田原征伐では一豊に従って山中城を攻め、武功を挙げる。一豊が掛川領主になると3千石を給わる。慶長5年(1600年)、一豊に従って土佐国に入部し、佐川1万石を給わって首席家老になる。以来、忠義の婚儀、江戸城修築、名古屋城築城、大坂冬の陣・夏の陣、福島正則の改易など、ことごとく処す。寛永7年(1630年)、家督を養子の重昌に譲り、隠居料2千石を給わり高知に住む。
寛永9年(1632年)、死去。
系譜
- 室:山内一豊の姉の娘
- 義兄弟:山内可氏
- 婿養子:深尾重忠(国家老)
- 娘:深尾重忠の室
- 養子:深尾重昌(2代佐川領主)
脚注
出典
- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年




