『ダフニスとクロエ』(フランス語: Daphnis et Chloé)は、1912年にバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)によって初演された、ミハイル・フォーキン振付によるバレエ、またはこのバレエのためにフランスの作曲家モーリス・ラヴェルが作曲したバレエ音楽である。フォーキンの振付は後世に伝わらなかったが、ラヴェルが1909年から1912年にかけて作曲したバレエ音楽はオーケストラの重要なレパートリーの一つして演奏され続け、様々な振付家がラヴェルの音楽に合わせた独自の振付によるバレエを制作している。
バレエの台本は、2 - 3世紀ギリシャのロンゴスによる物語『ダフニスとクロエ』を題材としており、もともとフォーキンがロシア帝室バレエで上演することを想定して書いたものであった。この台本に、20世紀初頭のパリでロシア芸術を紹介するイベントを開催していた興行師セルゲイ・ディアギレフが注目し、自らが手がけるバレエ公演で上演するため作曲をラヴェルに依頼した。1909年に始まったバレエの制作にはフォーキン(台本・振付)、ラヴェル(音楽)、レオン・バクスト(美術・衣裳)が共同であたり、当初は1910年の上演が予定されていたが、ラヴェルの作曲が遅れたために二度にわたって延期され、1912年6月8日にパリのシャトレ座で行われたバレエ・リュスの公演において初演された。しかし、初演の間際には関係者の間で諍いが絶えなかった上に本番直前に十分な練習時間が確保できず、『ダフニスとクロエ』は同シーズンに初演されて物議を醸した『牧神の午後』の影に隠れてしまうこととなった。初演後もバレエ・リュスでは再演の機会にあまりめぐまれず、同団の舞台監督セルゲイ・グリゴリエフは『ダフニスとクロエ』を「運の悪いバレエ」と評した。
バレエ・リュスの解散(1929年)と前後して、『ダフニスとクロエ』は1920年代にフォーキンによってパリ・オペラ座バレエに移植され、そのレパートリーに加えられた。フォーキンによる振付は記録がほとんどないために忘れ去られたが、英国ロイヤル・バレエ団のフレデリック・アシュトンによる「アシュトン版」など、オリジナルの振付によるバレエが生み出され、様々なヴァリエーションの『ダフニスとクロエ』が世界中で上演されている。
このバレエのためにラヴェルが作曲したバレエ音楽は混声合唱を含む大編成の管弦楽曲であり、1時間近い演奏時間はラヴェルの作品の中で最も長い。ライトモティーフの手法を使って巧みに構成されており、ラヴェル自身は「舞踏交響曲」(フランス語: Symphonie chorégraphique)と形容した。ラヴェルの傑作の一つとして高く評価され、バレエ音楽全曲や作曲者自身による組曲がオーケストラの重要なレパートリーの一つとなっている。特に『ダフニスとクロエ 第2組曲』は、ラヴェルが作曲に1年を費やした終幕の「全員の踊り」を含む第3場の音楽をほとんどそのまま抜き出したもので、この形での演奏頻度が高い。
バレエは1幕3場からなり、連続して上演される。上演・演奏の所要時間は約55分。
バレエの筋書
バレエの筋書は、古代ギリシアのロンゴス(2 - 3世紀)による『ダフニスとクロエ』の、主に前半(第1巻・第2巻)のエピソードに基づいている。
登場人物
- ダフニス(Daphnis):主人公である山羊飼いの少年。ロンゴスの原作では15歳の設定である。
- クロエ:(Chloé):主人公である羊飼いの少女。ダフニスとは恋仲である。原作での設定は13歳。
- ドルコン(Dorcon):ダフニスの恋敵役となる若い牛飼い。
- リュセイオン(Lyceion):ダフニスを誘惑しようとする好色な人妻。
- ブリュアクシス(Bryaxis):海賊の首領。
- 第1のニンフ
- 第2のニンフ
- 第3のニンフ
- パン神:半獣神。バレエでは巨大な影として表現される。
- ラモン(Lammon):パン神がクロエを救った理由を説明する老いた山羊飼い。原作ではダフニスの養父である。
- その他(牧人たち、海賊たち、サテュロスたち)
あらすじ
1幕3場からなる。第1場と第3場はニンフの神殿がある神聖な森の近くの牧草地、第2場は海賊ブリュアクシスの夜営地のある海岸が舞台となっている。
- (詳細は「#バレエの進行と音楽」の項を参照。)
第1場
牧草地の春の日の午後。若い牧人たちが供物をもってニンフの祭壇に集まっており、その中にはダフニスとクロエの姿もある。若者たちは踊りを楽しむが、ダフニスはクロエに横恋慕する牛飼いのドルコンと対立し、クロエの口づけをかけて舞踏の腕前を競い合う。ドルコンは皆の笑い者となりダフニスが勝者となる。その後、一人になったダフニスが年増女のリュセイオンに挑発されるエピソードを挟み、突如、海賊の襲来となる。クロエは海賊に誘拐されダフニスは絶望のあまり倒れる。そこに3人のニンフが現れると、彼を蘇生させてパン神に祈らせる。
第2場
海賊の夜営地では略奪に成功した海賊たちが宴を催しており、海賊の首領ブリュアクシスは捕虜となったクロエに踊りを強要する。クロエは踊りつつ脱出の機を窺うが果たせない。ついにクロエはブリュアクシスに手籠めにされそうになるが、そこにパン神の巨大な幻影が出現して海賊を脅すと、海賊たちはたちまち退散してしまう。
第3場
牧草地の夜明けの情景が描かれる。再会を喜び合うダフニスとクロエ。そこに現れた山羊飼いのラモンが、「パン神が自身のかつてのシリンクスに対する愛の思い出の故にクロエを救い出したのだ」と教える。2人はパン神とシリンクスの物語をパントマイムで再現し、神に感謝する。牧人たちが集まり「全員の踊り」となり、大団円となる。
原作からの変更点
海賊にクロエが拉致されるというバレエの筋書きは、原作における次の2つのエピソードをつなぎ合わせたものである。
- 襲来した海賊にダフニスが拉致されるが、クロエがドルコンから託された笛を吹くと海賊船に積んでいた牛が暴れて船が転覆しダフニスは助かる。(第1巻)
- 島の反対側にあるメーテュムナと戦になりクロエが拉致されるが、パン神の加護によって救われる。(第2巻)
結果的に、バレエ『シルヴィア』に似た、「主人公の女性が誘拐されるが神の力で救われる」というストーリーになっている。このほか、クロエの口づけをかけてダフニスとドルコンが競うのは踊りではなくクロエへの原作では「求愛の言葉」であったり、バレエのラストシーンで再登場するドルコンが原作では海賊に殺されることになっていたりするなど、バレエ化の際に変更が加えられている。
制作の過程
フォーキンの台本
バレエ『ダフニスとクロエ』は1912年にバレエ・リュスによって初演されるが、台本の制作は同団が活動を開始する数年前にまでさかのぼる。ロシア帝室バレエ団に所属していたミハイル・フォーキンは、ロンゴスの『ダフニスとクロエ』をもとにバレエの台本を書き、バレエの改革に関する「意見書」とともに帝室劇場支配人ウラジミール・テリヤコフスキーに提出した。
その年代については、フォーキンの自伝に基づき「1904年」とされるのが一般的であるが。ロシアのバレエ研究家ヴェラ・クラソフスカヤは、台本と意見書の提出は「1907年」のことであり、フォーキンは自身のバレエが「モダンバレエの祖」ことイザドラ・ダンカンの舞踊に強い影響を受けていることを隠すために年代を改竄し、ダンカンが初めてロシアで公演を行った1904年末以前の出来事ということにしたのだと指摘している。また、クラソフスカヤは、フォーキンが初めて振り付けた1905年の『アクシスとガラテア』には「意見書」で述べたバレエ改革の兆候は見られず、これよりも『ダフニスとクロエ』の台本が早くに完成していた可能性を否定している。
フォーキンは、『アクシスとガラテア』の音楽を担当した作曲家アンドレイ・カデレズに『ダフニスとクロエ』のバレエ音楽を依頼していたとみられるが、結局、フォーキンが提出したの台本と意見書はいずれもロシア帝室劇場には採用されなかった。なお、カデレズによる『ダフニスとクロエ』の楽譜の断片がロシア国立図書館に残されている。
ディアギレフの依頼
フォーキンの『ダフニスとクロエ』(以下『ダフニス』)がロシア帝室劇場で上演される見込みは無くなったが、ほぼ同じ頃、パリを活動の舞台としていたロシア人興行師セルゲイ・ディアギレフがこの台本に目を付けた。ディアギレフは1906年の「ロシア美術展」以来、毎年パリでロシアの芸術を紹介するイベントを開催しており、その4回目となる1909年のイベントで初めてバレエを演目に加えることにした。そのため、オフシーズン中のロシア帝室バレエのメンバーからなる臨時のバレエ団が編成され、フォーキンはメートル・ド・バレエ(振付師兼舞踊監督)としてこのバレエ団に加わった。
ディアギレフがプロデュースした公演「セゾン・リュス」(ロシア・シーズン、Saisons Russes)は1909年5月19日から6月19日までの1か月間開催され、フォーキンの振付による『ポロヴェッツ人の踊り』、『レ・シルフィード』、『アルミードの館』などの作品がパリでセンセーションを巻き起こした。この臨時編成のバレエ団は1911年以降、常設の「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)となり、この1909年の公演がその事実上の旗揚げと見なされている。
ディアギレフは翌年も引き続きパリでバレエ公演を行おうと考え、オリジナル曲を依頼するため当時のフランスで活躍していた作曲家に接近した。フォーレやドビュッシーとの交渉は作品として結実しなかったが、ディアギレフはパリのサロンにおける人脈を通じてモーリス・ラヴェルに『ダフニス』のバレエ音楽を依頼した。作曲が依頼された詳細な月日は特定されていないが、少なくともこの年の公演が終わる前後の時期には、ラヴェルを含む関係者の間で台本をめぐる打合せが行われている。
制作の開始 - 台本の変更
『ダフニス』の制作には、総監督ディアギレフのもと、フォーキン(台本・振付)、ラヴェル(音楽)、レオン・バクスト(美術・衣裳)といった芸術家たちが関わった。
しかし、彼らが目指す芸術の方向性や作品に対する世界観は食い違っていたため、制作は難航することになった。『ダフニス』の舞台である古代ギリシャに対するイメージ一つを例にとっても、フォーキンは、古代の遺跡から発掘された赤や黒の壺に描かれた踊りに見られる力強い古代ギリシャを理想としていたが、ラヴェルは古代ではなく、ヴァトーやブーシェなど、18世紀フランスの画家が描いたギリシャ神話の世界を理想としており、バクストは、当時「バクスト・カラー」と呼ばれた派手な色使いにより「野蛮なギリシャの色彩」を表現しようとしていた。
- 【参考】古代ギリシャに対するイメージの違い
ディアギレフがアレクサンドル・ベノワに宛てた1909年6月12日付けの手紙には、「バクスト、フォーキン、ラヴェルが協働して作品の細部まで練り上げ、ラヴェルはフォーキンに「絶対的傑作」を書くと言ったらしく今から楽しみである」といった楽観的な記述がある一方、ラヴェルがサロンの主宰者の一人サン=マルソー夫人に宛てた同年6月27日付けの手紙からは、台本をめぐって殺伐としたやり取りが繰り返されていたことが窺われる。
フォーキンやラヴェルらによる検討の結果、台本には大きな変更が加えられた。フォーキンのオリジナルの台本は2幕からなっており、現行の倍近い長さがあったが、ダフニスとクロエが結婚するまでのエピソードを中心とした後半部分などがカットされ1幕ものとなった。このカットにより台本にあった登場人物7人の出番がなくなり、ダフニスの養父として第2幕に登場するはずであったラモンの設定が、パン神とシリンクスの物語を説明する役柄に変更された。
上演延期
ディアギレフは『ダフニス』を1910年のパリ公演にのせるつもりでダンサーとの交渉を進め、ダフニス役はヴァーツラフ・ニジンスキー、クロエ役はタマーラ・カルサヴィナとアンナ・パヴロワが交替で踊ることで契約が成立した。
1910年、この年のパリ公演に向けたバレエ団の稽古が4月に始まったが、『ダフニス』については曲が完成していなかったため翌年に延期されることになった。ラヴェルはパリ公演開始(6月4日)の約1ヶ月前にあたる5月1日に、ひとまずヴォーカルスコア(ピアノと合唱)を完成させたが、後述するように、その後に改訂を行っているため、この楽譜は現行のものとは異なるものである(詳細については「#破棄されていなかった初稿」の項を参照)。
なお、この年の「セゾン・リュス」では、ストラヴィンスキー作曲、フォーキン振付による『火の鳥』が初演されて大成功をおさめ、「新人」作曲家ストラヴィンスキーはパリで一躍有名になった。ラヴェルもまた『火の鳥』には感銘を受けたとされる。
2度目の上演延期
翌1911年もラヴェルの音楽は完成せず『ダフニス』は再度の上演延期となった。この年ラヴェルはバレエのフィナーレにあたる「全員の踊り」の改訂に着手したが難航し頭を悩ませていた(詳細については「#「全員の踊り」の改訂 」の項を参照。)。
その一方、ラヴェルはすでに出来上がっていた第1場の後半から第2場前半にかけての音楽を『ダフニスとクロエ 第1組曲』(「夜想曲」 - 「間奏曲」 - 「戦いの踊り」)とし、演奏会で発表しようとした。ディアギレフやフォーキンはこのことに憤慨したが、第1組曲の初演(4月3日)を止めさせることはできなかった。
結局、1911年の「セゾン・リュス」では『ダフニス』に代わる作品として、ギリシャ神話に基づく短いバレエ『ナルシス』が上演された。音楽はこのバレエ団の正指揮者でもあったニコライ・チェレプニンが作曲し、バクストの美術・衣裳、フォーキンの振付でニジンスキー、カルサヴィナらが踊った。ギリシャ風の振付のアイデアは全て『ダフニス』のためにとっておきたかったフォーキンにとって気乗りのしない仕事であった。なお、『ナルシス』のためにバクストがデザインした衣裳の一部は『ダフニス』に転用された。
1911年の公演では、フォーキンは新作『ペトルーシュカ』(音楽はストラヴィンスキー)を振り付けて大成功を収めたが、ディアギレフは振付師としてのフォーキンに限界を感じ始めていた。ディアギレフは同性愛の相手でもあったニジンスキーをバレエ・リュスの新たな振付師としてデビューさせようと考え、そのデビュー作となるバレエ『牧神の午後』を準備していた。ディアギレフは、『ダフニスとクロエ』と同じ古代ギリシャをテーマとしたバレエをニジンスキーが振り付けると分かればフォーキンが離反しかねないと考え、彼に悟られないよう、ぎりぎりの段階まで秘密裡に事を進めた。
初演(1912年)
1912年の「セゾン・リュス」
バレエ・リュスの1912年の「セゾン・リュス」は 5月13日から6月10日にかけての約1か月間、シャトレ座において開催されることになった。ディアギレフはこのシーズンのために4日間ずつ上演される4種類のプログラムを用意し、それぞれのプログラムには以下のように新作バレエを1本ずつ配置した。着手から足掛け4年の歳月を経て『ダフニス』はようやく上演されることとなった。
『ダフニス』初演の主な出演者
『ダフニス』初演の主な出演者は以下のとおりである。なお、一部のダンサーについてはフルネームが不明である。また、指揮は、バレエ・リュスの正指揮者のピエール・モントゥーが務めた。
- ヴァーツラフ・ニジンスキー(ダフニス役)
- タマーラ・カルサヴィナ(クロエ役)
- アドルフ・ボルム(ドルコン役)
- マルガリータ・フロマン(リュセイオン役)
- エンリコ・チェケッティ(老羊飼いラモン役)
- マリヤ・ピルツ(第1のニンフ)
- リュヴォフ・チェルニチェヴァ(第2のニンフ)
- コパツィンスカ(第3のニンフ)
- フェドロフ(海賊ブリュアクシス)
初演に至るいきさつ
ラヴェルのスコアの完成は、公演が1か月後に迫った4月5日のことであった。制作初期に台本をめぐってやり取りした後、フォーキンとラヴェルは作品について相談していなかったため、フォーキンは初めて全体像が明らかになった楽曲の、しかも練習用のピアノ版の楽譜だけを手がかりに『ダフニス』を急いで振り付けなければならなかった。しかもフォーキンは他の新作バレエ2作品(『青神』『タマーラ』)も抱えており、『ダフニス』に十分な時間がとれなかった。
5月からピアノ伴奏に合わせた稽古が始まったが、もはやディアギレフにとって『ダフニス』は、劇的な要素を欠いたストーリーと斬新さの足りない振付の、上演時間ばかりが長い作品であり、全く興味を持てないものになっていた。ディアギレフはデュラン社に『ダフニス』に関する契約破棄の考えすら打ち明けたが、同社を経営するジャック・デュランが説得してディアギレフを思いとどまらせた。
当時のディアギレフにとって最大の関心事は、ニジンスキーの振付師としてのデビュー作『牧神の午後』を成功させることにあった。ディアギレフは『牧神の午後』の宣伝に力を入れ、わずか8分しかないこのバレエのために潤沢なリハーサル時間を確保した。フォーキンはこの扱いの差に怒ってディアギレフと激しく罵り合い、主演のニジンスキーともいがみあった。
第3プログラムの新作として5月29日に初演された『牧神の午後』は、ラストシーンの性的な表現がスキャンダルを巻き起こしたが、かえって人々の注目を集めチケットは全て売り切れた。同じギリシャ神話をテーマとした『牧神の午後』が話題となったことで『ダフニス』の影は薄くなってしまった。そればかりか、ディアギレフは『牧神の午後』の追加公演を決め、6月5日に予定されていた『ダフニス』の初日を6月8日に繰り下げた。6月9日はシャトレ座の休館日であり、パリ公演は6月10日が最終日であったため、本来であればシーズン中に4回を予定していた『ダフニス』の上演は2回しか行われないことになった。さらに本番前日の総稽古も『牧神の午後』の追加公演のために取りやめとなり、フォーキンのみならずラヴェルもディアギレフの『ダフニス』に対するこうした扱いに怒った。
ディアギレフが『ダフニス』の初日を遅らせた理由については、フォーキンに対する嫌がらせとする説や、『牧神の午後』をもっと上演したかったからなど諸説があり特定はできない。舞台監督を務めたセルゲイ・グリゴリエフはフォーキンの振付の完成が遅れたためだとしている。
実際、『ダフニス』の仕上がりは遅れており、振付が全て完成したのは『牧神の午後』を含む第3プログラムが始まった後、当初の初演予定日の数日前であった。十分に時間が確保できない中で踊り手たちも大変な苦労をしており、初演でクロエを踊ったタマーラ・カルサヴィナは次のように回想している。
カルサヴィナの回想にもあるように、最後まで仕上がらなかったのはラヴェルが苦労を重ねたフィナーレの「全員の踊り」の部分であった。この部分は主に5拍子で書かれており、踊り手たちは「セル・ゲイ・ディア・ギ・レフ」と、ディアギレフの名前にあてはめて練習していたと言われるが、ロジャー・ニコルスは、「全員の踊り」の5拍子は「3拍子+2拍子」で書かれており、音節のリズムが「2+3」になる「セルゲイ+ディアギレフ」では音楽に合わないため、このエピソードの信憑性を疑っている。また、さらに複雑なリズムの『春の祭典』を次の年に踊ることになるバレエ団のメンバーが『ダフニス』のリズムに苦戦したということには疑問も残る。
初演を終えて
『ダフニス』の初演は1912年6月8日にシャトレ座で行われた。多くの批評家は主役のニジンスキーとカルサヴィナの華麗な演技な演技やラヴェルの音楽を高く評価したとされ、ラヴェルと同じ「アパッシュ」のメンバーであった評論家エミール・ヴュイエルモーズは、6月15日付けの『ルヴュー・ミュジカルSIM』誌において『ダフニス』を「真の傑作」とし、1912年のバレエ・リュスの公演のフィナーレをこの作品が飾ったことを祝った。
しかし、その一方でピエール・ラロは6月11日付けの『ル・タン』紙において、ラヴェルの音楽にはリズムがなく、バクストの美術やフォーキンの振付も良くなかったと否定的な見解を示し、ガストン・カローも同日の『ラ・リベルテ』紙でリズムの弱さを指摘し、「曲は絶えず反復によって進行していく」と批判している。また、77歳の批評家アルテュール・プージャンは6月15日付けの『ル・メネストレル』誌に「優雅さ、魅力、何よりインスピレーションに欠ける」という冷淡な批評を掲載した。
十分な準備がなされないまま、また、人間関係の軋轢を抱えながら行われた初演は期待を下回る出来であったと思われる。グリゴリエフは「シーズン初めに初演され、ディアギレフがもっとよく面倒を見ていれば、ずっと大きな成功をかち得ただろう。」と振り返っている。また、ラヴェルはミシア・セールにあてた手紙の中で次のように作品を擁護した。
一方、『ダフニス』に対するディアギレフの扱いに不満を募らせていたフォーキンはパリ公演の終了後にバレエ・リュスを退団し、ニジンスキーが後任の振付師となった。
初演に関する記録
『ダフニス』の初演の様子を知ることができる資料は非常に少なく、特にフォーキンの振付がどのようなものであったかを伝える資料としては、バランティーヌ・グロスによる、きわめてラフなスケッチが最も情報量が多いという状態である。
このため、再演の機会に恵まれなかった『ダフニス』の場合、バレエ・リュスにおいても、活動末期にはフォーキンの振付は忘れ去られたに等しい状態となった(後述)。当然、現代においてもフォーキンの振付を再現することは困難であり、バレエ史の専門家リン・ガラフォーラは、『ダフニス』のことを「どのように踊られたか分からない神秘的な作品」と評している。
初演後のバレエ上演史
バレエ・リュス
フォーキンの一時復帰とロンドン公演(1914年)
『ダフニス』初演の翌年にあたる1913年、ニジンスキーを解雇したディアギレフはフォーキンを説得してバレエ・リュスに復帰させた 。翌1914年にはモンテカルロとロンドンで『ダフニス』が再演され、復帰の際に振付師をしながら踊り手として舞台に立てる「振付監督」の地位を得たフォーキンが自らダフニスを踊った。ロンドン公演は『ダフニス』のイギリス初演でもあったが、この公演での合唱パートの扱いをめぐってディアギレフとラヴェルが衝突した。
『ダフニス』は管弦楽の編成が大きく混声合唱団までを用意する必要があり、ディアギレフはコストカットのために合唱を省略したいと考えた。ラヴェルは合唱が不可欠と考えていたが、ヨーロッパの主要都市の公演では必ず合唱入りで上演することを条件に、さほど重要ではない都市の公演を合唱抜きで行うことを認めた。
ところがディアギレフは、1914年6月に ロンドンのドルリー・レーン劇場での公演を合唱抜きで行おうとした。このことに激怒したラヴェルはロンドンの『タイムズ』紙など4つの新聞社に抗議の声明文を送り付け、さらに交友関係のあったイギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズにも声明文のコピーを送り、その内容をできるだけ広めてほしいと頼んだ 。『ザ・モーニング・ポスト』紙には次のようなラヴェルの意見文が掲載された。
ディアギレフはこれに反論したが、ラヴェルはさらに長い声明文を『コメディア』紙に送り付けてディアギレフの誤りを指摘した。その結果、ロンドン公演は合唱入りで行われ、ラヴェルとディアギレフとの間では、主要都市での公演は合唱入りで行うことがあらためて確認された。
『ダフニス』はロンドンの観客に受けたが、バレエ・リュスではその後10年間にわたって上演の機会がなかった。一方、一時的に復帰していたフォーキンは7月25日にロンドン公演が終わるとバレエ・リュスを離れ、二度と戻ることはなかった。なお、ロンドン公演が終わった3日後に第一次世界大戦が勃発した。
不吉な演目(1917年)
第一次世界大戦中の1917年12月、バレエ・リュスの一行は公演ツアーのためポルトガルの首都リスボンを訪れたが、到着直後に軍事クーデターが勃発し、一行が泊まる宿の近くでも銃撃戦が行われた。ホールは汚く暖房がきかない上に満席になることは一度もなく、首都で行われた公演としては最悪なものとなった。次の仕事が決まらず給料も支払われなかったため、団員たちは3か月にわたって冬のリスボンで足止めされ、飢えと寒さに苦しむことになった。さらにロシア革命によりロシア帝国のパスポートは無効となった。
ディアギレフが次の仕事を求めてリスボンを離れている間、留守を任された舞台監督のグリゴリエフは、1914年以来上演されていなかった『ダフニス』の練習を始めたが、具体的な公演のあてがあるわけでもなく、団員にとっては無駄な努力でしかなかった。リスボンでの忌まわしい思い出と結びついた『ダフニス』はその後、バレエ・リュスの団員にとって不吉な演目と見なされるようになった。
10年ぶりの復刻(1924年)
1924年1月、ディアギレフは、フランシス・プーランクの音楽、マリー・ローランサンの美術、ブロニスラヴァ・ニジンスカ(ニジンスキーの妹)の振付による新作バレエ『牝鹿』など、フランスの作品のみを集めた「フランス芸術祭」をモンテカルロにおいて開催した。この企画のために『ダフニス』は10年ぶりにバレエ・リュスで再演されることになったが、この頃にはすでにフォーキンの振付を覚えているダンサーは誰もいなかったため、グリゴリエフが曖昧な記憶を頼りに振付を再現し、一部はニジンスカが新たに振付けた。なお、モンテカルロではアントン・ドーリンがダフニスを、リディア・ソコロワがクロエを踊った。
この年、モンテカルロに引き続きバルセロナのリセウ劇場でも『ダフニス』が上演されたが、結果的にはこれがバレエ・リュスにおける『ダフニス』の最後の公演となった。グリゴリエフはバレエ・リュスにおける『ダフニス』を振り返り、「運の悪いバレエ」と評した。
その他の上演史
パリ・オペラ座への移植
『ダフニス』は第一次世界大戦後にパリ・オペラ座バレエに移植され、そのレパートリーに位置づけられることになった。当時のオペラ座総裁ジャック・ルーシェはディアギレフの熱狂的なファンでもあり、オペラ座バレエの再興のために、バレエ・リュスに関係したアーティストたちをパリ・オペラ座に招いていた。ルーシェは『ダフニス』を再演するため、アメリカに移住していたフォーキンに声をかけた。
『ダフニス』再演を含む「ロシアの夕べ」は1921年6月20日に開催され、フォーキンは振付を担当するとともに、妻ヴェラ・フォーキナとともにタイトルロールを踊った。ラヴェルもかかりきりでリハーサルに協力したこの再演はバレエ・リュスの初演時よりもはるかに受けがよく、『ダフニス』はパリ・オペラ座バレエのレパートリーに位置づけられ、後にはアルベール・アヴリーヌがダフニス、カルロッタ・ザンベリがクロエを踊っている。
アメリカの「リトルフィールド版」
前述のとおり、フォーキンの振付は後世には伝わらず、多くの振付家が独自の振付による『ダフニス』をつくった。第二次世界大戦前の1936年にアメリカで上演された「リトルフィールド版」はその先駆けである 。
フィラデルフィアで生まれ育ったキャサリン・リトルフィールド(1905年 - 1951年)は、1935年に指揮者レオポルド・ストコフスキーの援助を受けて「リトルフィールド・バレエ団」(設立直後に「フィラデルフィア・バレエ団」に改称)を設立し、翌1936年3月31日にフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックにおいて、自らの振り付けによる『ダフニス』全曲を上演した 。これは『ダフニス』という作品自体がアメリカで上演された最初のものでもあった 。
イギリスの「アシュトン版」
第二次世界大戦後の1951年、イギリスのサドラーズ・ウェルズ・バレエ団(後のロイヤル・バレエ団)では、フレデリック・アシュトンの振付、ジョン・クラックストンの美術により、新しい『ダフニス』が誕生した。この「アシュトン版」は、フォーキンの台本に従いつつも、舞台は20世紀半ばのギリシャに移されている。また、第1場のリュセイオンとダフニスの場面がより官能的に表現されていることなどの特徴がある。
1951年の「フェスティバル・オブ・ブリテン」の一環として4月5日に行われた初演では、マイケル・サムズがダフニス、 マーゴ・フォンテインがクロエを踊った。アシュトンは自らの振付をヴォーカル・スコアに記録しており、アシュトンが退任した後も度々再演された。
一時(1994年から1996年にかけて)、マーティン・ベインブリッジ(Martyn Bainbridge)の美術によって公演が行われたが、 2004年5月にはアシュトンの生誕100年を記念してアシュトン-クラックストン版が再演され、ダフニス初演100年に向けた2011年冬には、ロイヤル・バレエ団の姉妹団体であるバーミンガム・ロイヤル・バレエ団によっても再演されている。
パリ・オペラ座の「スキビン版」と「ミルピエ版」
フォーキンによって『ダフニス』が移植されていたパリ・オペラ座では、第二次世界大戦後の1959年にメートル・ド・バレエのジョルジュ・スキビンによる振付、マルク・シャガールによる色鮮やかな美術の新版が作られた。1959年6月3日の初演ではスキビンがダフニス、クロード・ベッシーがクロエを踊った。この「スキビン版」は1959年から1970年までの10年あまりオペラ座のレパートリーに位置づけられ、その間に168回上演された。イギリスのバレエ研究者アイヴァ・ゲストによれば、パリ・オペラ座が1776年から1999年までに上演した全ての作品のうち26番目の多さである。なお、パリ・オペラ座バレエは1963年5月の来日公演で『ダフニス』を演目に取り上げている。
21世紀に入り、オペラ座では、2014年から2016年にかけて舞台監督をつとめたバンジャマン・ミルピエの振付、ダニエル・ビュランによる幾何学的な舞台装置による新しいバレエが2014年に初演された。5月10日に行われた初演ではフィリップ・ジョルダンが指揮を務め、エルヴェ・モローがダフニス、オーレリー・デュポンがクロエを踊った。この「ミルピエ版」は、2016年にニューヨークのアメリカン・バレエ・シアターでも上演されている。
「現代的」な演出
ラヴェル生誕100周年にあたる1975年、アメリカではジョージ・バランシンの率いるニューヨーク・シティ・バレエ団による「ラヴェル・フェスティバル」の一環として、ジョン・タラスの振付による『ダフニス』が上演された 。ジョー・ユーラの衣裳デザインはホットパンツを履いたニンフやギャング姿の海賊が登場するもので、批評家クライヴ・バーンズは『ニューヨーク・タイムズ』紙上で、振付、美術、衣裳のいずれも酷評し、タイトルロールを演じたピーター・マーティンスやニーナ・フェデロワをこのバレエの「犠牲者」として扱った。
なお、ニューヨークでは「ラヴェル・フェスティバル」の翌月にシュトゥットガルト・バレエ団がグレン・テトリー振付による現代的な『ダフニス』を上演しているが、バーンズはこれも酷評し、「今年はダフニスにとってもクロエにとっても良い年ではないらしい」と皮肉った上で、現代に舞台を移したバレエとしては決定版とも言うべき「アシュトン版」がある中で、さらに新しい『ダフニス』の振付を生み出すことの難しさを指摘している。
とはいえ、現代的な演出の『ダフニス』はその後も登場しており、バレエ以外のパフォーマーとのコラボレーションも行われるようになっている。オーストラリアでコンテンポラリー・ダンスを手掛けるシドニー・ダンス・カンパニーが1980年に上演したグレアム・マーフィー振付による『ダフニス』は、機械仕掛けの雲に乗るパン神や、革の衣裳をまとった海賊、ローラーブレードでステージ上を移動するニンフが登場するものであった。また、カナダでは『ダフニス』初演100周年にあたる 2012年9月に、ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団が、現代サーカス芸術集団シルク・エロイーズのアクロバットと共演して全曲の演奏を行っており、ケンブリッジ大学のMawer(2012)は、モントリオールでの革新的な試みを評価している。
ラヴェルによるバレエ音楽
ラヴェルがこのバレエのために作曲した音楽は、混声四部合唱を含む、規模の大きい四管編成のオーケストラによるもので、曲の長さと編成の大きさにおいて、ラヴェルの作品で最も大規模なものである。歌劇『スペインの時』と同様に、登場人物を表すライトモティーフを使って楽曲を構成している。
楽器編成
- 木管楽器
- ピッコロ、フルート2(2番奏者はピッコロと持ち替え)、 アルトフルート (G管)、オーボエ2、コーラングレ、小クラリネット(E♭管)、クラリネット(B♭管とA管を持ち替え)2、 バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット
- 金管楽器
- ホルン4、トランペット(C管)4、トロンボーン3、チューバ
- 打楽器
- ティンパニ、スネアドラム、カスタネット、クロタル、シンバル、エオリフォン、バスドラム、タンブール、タンブリン、銅鑼、トライアングル、 チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブレ、シロフォン
- 弦楽器
- ハープ2、弦楽5部(コントラバスは最低音Cが要求される)
- 合唱
- 混声4部 歌詞はなくヴォカリーズまたはハミングで歌われ、楽器の一部として扱われる。演奏する場所については「舞台裏」と「舞台の上」の指示がある。
- その他
- ホルン、トランペット(各1。第1場において「舞台裏」で演奏される)
- ピッコロ、小クラリネット(各1。第3場において「舞台の上」で演奏される)
なお、合唱は省略して演奏することも可能であり、第1場の終末から第2場にかけての合唱(「間奏曲」)を省略した際の管弦楽版の楽譜が全曲版スコアの末尾に収録されている。合唱の扱いをめぐるラヴェルとディアギレフの対立については、「 #フォーキンの一時復帰とロンドン公演(1914年)」の項を参照。
主要な主題
バレエ音楽『ダフニスとクロエ』は、台本に基づいた踊りのための一連の音楽でありながら、調性の統一と緻密な主題設計が図られている。全曲はイ長調に始まりイ長調に終わるが、イ長調の属調であるホ長調は登場せず、ホ長調のさらに5度上のロ長調に重要な役割が与えられている。ラヴェル自身はこの作品を「舞踏交響曲」(フランス語: Symphonie chorégraphique)と形容しており、「この作品は交響曲的に構成されており、ひじょうに厳格な調性計画に従い、また少数の動機を手段にしている。この動機を一貫して追ってゆくと、交響曲的な統一が保証されるのだ。」と述べている。
ラヴェルの死の2年後にあたる1939年にラヴェルの作品を論じたウラジミール・ジャンケレヴィッチは、ラヴェルの言う「作品に交響的統一を保証する少数の動機」として、第1場の前半までに登場する5つの主題を指摘して作品を分析している。その5つの主題(動機)は以下の主題A - 主題Eである。
- 主題A
- 第1場の冒頭、第7小節目にフルートによって提示される。執拗に繰り返される「嬰ニ」音はイ長調の音階に含まれず、低音の「イ」音に対して複調的な響きを作り出す。その後、ニンフの登場場面などで使われる。ジャンケレヴィッチはこの主題を『ニンフたちの主題』と呼んでおり、作曲家諸井誠はほぼ同意の「ニンフの主題」、作曲家山口博史は「パンの神の恵みの主題」と呼んでいる。
- 主題B
- 第1場の冒頭、第6小節目に弱音器をつけたホルンにより提示され、舞台裏の合唱に引き継がれる。主題Bは主題Aと組み合わされた形で何度か登場する。ジャンケレヴィッチは「自然に呼びかけるような」主題と形容しており、諸井は「愛し合う若者たちの主題」、山口は「自然の主題」と呼んでいる 。
- 主題C
- 第1場の冒頭、第12小節目でホルンによって最初に提示され、その後ライトモティーフのように扱われる。ジャンケレヴィッチは「ダフニスの愛の主題」と呼んでいる。
- 主題D
- 主題A - Cが序奏の早い段階で提示されるのに対し、主題Dと主題Eはやや遅れて提示される。この主題は第1場の中盤、ダフニスとドルコンがクロエをめぐって対立する場面で初めて登場する。この主題をジャンケレヴィッチは「クロエの主題」と呼んでいるが、アービー・オレンシュタインは主題CとDの両方を「ダフニスとクロエの主題」としている。
- 主題E
- ジャンケレヴィッチは「海賊の主題」と呼んでいる。その名のとおり、海賊が襲来する第1場の終盤から第2場までで使われ、第3場には登場しない。この主題はトランペットやホルンなどの金管楽器によりf 以上で強奏され、最初の4音の動機がファンファーレのように扱われる。
バレエの進行と音楽
ラヴェルのスコアには、フランス語によるト書きが書かれており、音楽とは以下のように対応している。「音楽」の《》で囲まれたタイトルのうち、*を付したものについてはスコアに明示されていない。なお、主要な主題や動機の名称は、原則としてジャンケレヴィッチの呼称に従い、「主題B」のみ山口の呼称に従う。
第1場
第2場
第3場
作曲に関するエピソード
ニジンスキーの跳躍
ラヴェルは1909年にディアギレフから作曲を依頼された。カルヴォコレッシの回想によれば、ラヴェルがまず最初に作曲したのは、初演でヴァーツラフ・ニジンスキーがソロで踊ることになる、第1場の「ダフニスの優雅で軽やかな踊り」の部分であった。譜例はその開始部分であるが、3小節目にフェルマータつきの8分休符による「間」があけられている。この「間」は、ニジンスキーが1909年の『アルミードの館』で見せた、重力を無視したかのような驚異的な跳躍に触発されたラヴェルが、彼が空中に留る時間のために書いたものである。なお、ニジンスキーは『アルミードの館』の公演の後、周囲からの「空中に留まっていることは簡単なのか」という質問に対し、「ただ跳び上がって、一瞬そこで待てばいいんですよ」と答えたと言う逸話が残っている。
破棄されていなかった初稿
ラヴェルは初演の2年前にあたる1910年5月1日に『ダフニス』のヴォーカルスコアを完成させていた。しかし1911年に改訂が行われ、1910年の初稿は破棄されるはずであったが、楽譜の出版元であるデュラン社のミスにより、ごく少数が世の中に出回ってしまっていた。
初稿譜の存在が明らかになったのは1964年のことであり、フランスの作曲者・音楽学者ジャック・シャイエが古本屋で偶然この楽譜を手にしたことがきっかけであった。シャイエは現行版のスコアと1910年版の楽譜を比較・分析し、1969年に論文『モーリス・ラヴェルによる《ダフニスとクロエ》の知られざる初稿』(Une première version inconnue de Daphnis et Chloé de Maurice Ravel)を発表した。
また、シャイエはスコアに記された「ト書き」から、初稿ではパン神が生身の人間が踊ることになっていたことや、初稿ではリュセイオンやブリュアクシスに名前がなく、ドルコン(Dorkon)はロシア読みの「Darion」であったことも突き止めた。シャイエは、現行版におけるこれらの人名が、ジャック・アミヨによるフランス語訳『ダフニスとクロエ』と同じであることから、ラヴェルが台本に関与したことを示唆するものだとしている。
1910年の初稿はパリ国立図書館の音楽部やアメリカ議会図書館で見ることができるほか、楽譜の一部(写真または清書したもの)が、アービー・オレンシュタインの著作やサイモン・モリソンの論文に掲載されている。なお、自筆譜はアレクサンドル・タヴェルヌ夫人のコレクションの中にある。
「全員の踊り」の改訂
1911年4月末の段階でラヴェルは「全員の踊り」の改訂に頭を悩ませており、弟子である作曲家ルイ・オーベールの協力も得ながら作業は進められ、結局「全員の踊り」の改訂には着手してから1年もの時間を費やすことになった。かつてローマ大賞の審査員の一人は、ラヴェルについて「何の努力をしなくても音楽が流れ出てくるよう」だと形容したが、ここまで創作に苦しんだのはこれが初めてであった。なお、音楽史研究家のサイモン・モリソン(2009)は、ストラヴィンスキーへの対抗意識が改訂の背景にあった可能性を指摘している
当初、ラヴェルは「全員の踊り」を4分の3拍子で書いていたが、改訂では4分の5拍子に変更された(譜例)。また、強弱のニュアンスも変更されている。
(初稿)
(改訂版)
全体の長さは2倍に拡大され、途中には「クロエの主題」の再現が挿入された(譜例)。オーケストレーションの面でも、初稿では最後の6小節しかなかった合唱の出番が総譜で11ページ分にまで大幅に増えている。
なお、後年、どうやって「全員の踊り」を書き直したのか問われたラヴェルは、冗談半分に「簡単さ、リムスキー・コルサコフの『シェヘラザード』をコピーしたんだよ。」と語ったという。
晩年のラヴェルと『ダフニス』
ラヴェルはその後、『ラ・ヴァルス』(1920年)、『ボレロ』(1928年)などの作品を発表していくが、一度発表した作品にはさほど愛着を示さず、周囲の人間が『ダフニス』への賛辞を送ってもそっけない素振りしか示さなかったという。
しかし、晩年のラヴェルは原因不明の脳の疾患により、意識は明晰であるにもかかわらず文章を書いたり音楽を楽譜に記したりすることが全くできない「精神的幽閉」とでも言うべき状態におかれ、『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』(1933年)を最後に作曲が全くできなくなった。そして1937年12月に脳の外科手術を受けたラヴェルはそのまま帰らぬ人となった。死の数か月前、 アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏会で『ダフニス』を聴いたときのラヴェルの様子を、同行していたヴァイオリニストのエレーヌ・ジュルダン=モランジュは次のように回想している。
楽曲に対する評価
バレエ音楽『ダフニスとクロエ』はラヴェルの傑作の一つとして高く評価されている。
- 「おそらくラヴェルの最高傑作であり、二十世紀の音楽が到達した最もめざましい偉業」(ベンジャミン・イヴリー)
- 「私たちを魅了し、どのような楽派にも組み入れることのできない作品の一つであり、私たちにとって永遠に理解し難い法則や神秘が支配する遙かな惑星から、隕石のように私たちの心に落ちてくるのだ」(ジャン・コクトー)
- 「彼の天才を類まれな形で体現した偉大なスコア」(ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミット)
- 「単にラヴェルのもっとも美しい作品のひとつであるばかりか、フランス音楽の最も美しい成果の一つ」(イゴール・ストラヴィンスキー)
- 「激しさと官能性、力強さと優しさの類いまれな結びつきがある」(ロジャー・ニコルス)
- 「この傑作を、“フランス音楽史の金字塔”とする意見があったとしても、また二十世紀最高のオーケストラ曲とする人がいたとしても、私は決して反対しないだろう」(諸井誠)
3種類の組曲
ラヴェルの楽曲『ダフニスとクロエ』には、バレエ音楽全曲(1912年初演、1913年出版)以外に、バレエ音楽に基づく3種類の組曲があり、楽譜は全てデュラン社から出版されている。
『ダフニスとクロエ 第1組曲』
以下の3つの部分から成り、切れ目なく演奏される。演奏時間は約15分。
- 夜想曲(Noctune)
- 間奏曲(Interlide)
- 戦いの踊り(Danse guerrière)
バレエ音楽が未完成の段階にあった1911年に、第1場の後半から第2場前半にかけての音楽を抜き出して作ったもので、1911年4月3日にガブリエル・ピエルネ指揮コロンヌ管弦楽団によって初演された。初演に対する新聞の批評は賛否両論であり、当時の進歩的な作曲家とみなされていたアルフレッド・ブリュノーは「第1組曲」の作曲技法の自由さを「アナーキー」であると否定的に捉えた。楽譜は初演と同年の1911年に出版されている。
『ダフニスとクロエ 第2組曲』
以下の3つの部分から成り、切れ目なく演奏される。演奏時間は約15分。
- 夜明け(Lever du jour)
- 無言劇(Pantomime)
- 全員の踊り(Danse générale)
第3場の音楽をほぼそのまま抜き出したもので、バレエ初演の翌年にあたる1913年に出版された。なお、初演については不明である。「第2組曲」はオーケストラにとって重要なレパートリーの一つとして今日に至っており、管弦楽作品としての『ダフニスとクロエ』は「第2組曲」の形でとりあげられる機会が最も多い。 合唱を省略することが可能で、その部分の必要な代替処置がパート譜に記されている。
ピアノソロのための組曲
以下の3曲から成る。バレエの初演が行われた1912年に出版されている。
- ダフニスの優雅で軽やかな踊り(Dance de Daphnis)
- 夜想曲、前奏曲と戦いの踊り(Noctune. Interlide. Danse guerrière)
- ダフニスとクロエの情景(Scene de Daphnis et de Chloé)
日本における上演史
戦前 - 1950年代
日本では、太平洋戦争開戦の約半年前にあたる1941年6月4日に新交響楽団(現在のNHK交響楽団)第226回定期公演において、ジョセフ・ローゼンストックの指揮により『ダフニスとクロエ 第2組曲』が初演されている。太平洋戦争中であってもラヴェルの『ボレロ』、『スペイン狂詩曲』、『ピアノ協奏曲 ト長調』は演奏されたが『ダフニス』については演奏されておらず、戦後に入り、ローゼンストックが1945年11月に同楽団(1942年からは日本交響楽団)を指揮して「第2組曲」を再演した。これ以降、1950年代の終わりまでに日本で『ダフニス』が演奏されたのは1954年と1956年の2回のみで、いずれも同楽団(1951年からはNHK交響楽団)によるものである。
1960年代前半
東京オリンピックのあった1960年代前半の日本では、シャルル・ミュンシュ、ジャン・マルティノン、アンドレ・クリュイタンス、エルネスト・アンセルメといった、フランスの作品をレパートリーとする指揮者が相次いで来日して『ダフニス』を披露している。なお、これらはいずれも「第2組曲」である。
- 1960年 5月:ミュンシュ指揮ボストン交響楽団
- 1962年 12月:ミュンシュ指揮日本フィルハーモニー交響楽団
- 1963年 4月:マルティノン指揮NHK交響楽団
- 1964年 5月:クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団、6月:アンセルメ指揮NHK交響楽団
また、1963年5月にはパリ・オペラ座バレエが来日して大阪と東京で公演を行い、そのプログラムの1つとして「スキビン版」による『ダフニスとクロエ』を披露しており、ロベール・ブロ指揮による東京フィルハーモニー交響楽団、大阪音楽大学(大阪公演)、東京混声合唱団(東京公演)が演奏を担当した。
1960年代半ば - 1970年代半ば
日本では1960年代半ば以降、「第2組曲」が合唱入りで演奏されるようになった。1965年の若杉弘指揮の読売日本交響楽団(合唱は東京混声合唱団)に続き、1968年には1月に渡邉曉雄指揮の日本フィルハーモニー交響楽団(合唱は東京混声合唱団と二期会合唱団)、6月に秋山和慶指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団(合唱は関西歌劇団)が合唱入りの「第2組曲」を演奏している。なお、1968年の日本フィルハーモニー交響楽団については、同時に「第1組曲」も演奏しており、これが同曲の日本初演である。
NHK交響楽団ではやや遅れて1973年にホルスト・シュタイン指揮により同団初となる合唱入りの「第2組曲」が演奏され(合唱は日本プロ合唱団連合)、1976年にも岩城宏之指揮により合唱入りの「第2組曲」が演奏されている(合唱は東京混声合唱団)。
1970年代末以降
1970年代末以降、渡邉曉雄やガリー・ベルティーニ、シャルル・デュトワなどが演奏会でバレエ音楽の全曲版を演奏している。
- 1979年 3月:渡邉曉雄指揮東京都交響楽団
- 1984年 1月:渡邉曉雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団
- 1987年 2月:ベルティーニ指揮NHK交響楽団
- 1991年 4月:デュトワ指揮NHK交響楽団
- 1997年 12月:デュトワ指揮NHK交響楽団
吹奏楽編曲と著作権問題
1976年に行われた第24回全日本吹奏楽コンクール全国大会において島根県の出雲市立第一中学校が自由曲として演奏した『ダフニスとクロエ』第2組曲の抜粋(「夜明け」・「全員の踊り」)は、この曲が日本のアマチュア吹奏楽団に広まるきっかけを作った。
当時はラヴェルの没後から40年余りしか経っておらず、作品は著作権保護の対象であり無断での編曲・演奏はできなかったが、当時の学校関係者の間には著作権に関する理解は現在ほど浸透していなかった。コンクールを主催する全日本吹奏楽連盟は機関誌を通じて注意を促していたものの、1981年には『ダフニス』を自由曲として支部代表となった某高等学校が編曲許諾をとっていなかったために全国大会への出場を辞退するという「事件」が起こっている。
また、実際に編曲の許諾を申請しても簡単に許可はおりなかったため、1980年代前半には『ダフニス』の吹奏楽編曲による演奏は事実上不可能に近かったが、1986年には、埼玉栄高等学校の吹奏楽部顧問から相談を受けた吹奏楽指導者秋山紀夫が、日本の著作権管理会社を超えて直接フランスのデュラン社に電話で交渉し、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の指揮者ロジェ・ブートリーによる編曲に限っての演奏許諾を得ることに成功した。 埼玉栄高等学校はこの年『ダフニス』を全国大会で披露し、翌1987年以降、ブートリー編曲による『ダフニス』は吹奏楽コンクールでさかんに取り上げられるようになった。なお、1998年以降は著作権保護期間が過ぎており自由に編曲することが可能になっている。
脚注
注釈
出典
参考文献
楽譜
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書籍・論文
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- “機械仕掛けの雲に乗るパン神の写真(英語)”. Trove. 2023年10月22日閲覧。
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- “アクロバットと共演するモントリオール交響楽団の様子を伝える記事(フランス語)”. La Presse. 2023年10月22日閲覧。
- “大阪音楽大学について - 100周年史 - 1956年 - 1965年”. 大阪音楽大学. 2023年10月22日閲覧。
- “バレエアーカイブ - パリ・オペラ座バレエ団日本公演 プログラムD”. 昭和音楽大学. 2023年10月22日閲覧。
- Keller, James M. (2018年4月). “Program Notes - Ravel: Daphnis et Chloé”. サンフランシスコ交響楽団. 2023年10月22日閲覧。
- Goss, Madeleine (1940年). “Bolero : The life of Maurice Ravel”. TUDOR PUBLISHING COMPANY. 2023年10月22日閲覧。
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- “演奏会記録 NHK交響楽団(2019.08.06のwebアーカイブ)”. NHK交響楽団. 2023年10月31日閲覧。
- “東京都交響楽団創立50周年コンサートアーカイブ(ダフニスとクロエ)(2018.12.14のwebアーカイブ)”. 東京交響楽団. 2023年10月31日閲覧。
- “日本洋舞史年表I 1900-1959”. 日本芸術文化振興会 (2003年10月). 2023年10月31日閲覧。
- “日本洋舞史年表II 1960-1969”. 日本芸術文化振興会 (2005年3月). 2023年10月31日閲覧。
関連項目
- ダフニスとクロエ (冨田勲のアルバム) - 冨田勲が編曲したシンセサイザーによる「第2組曲」を含むアルバム。
- ダフニスとクロエ (ガロッタ) - ジャン=クロード・ガロッタの振付によるバレエ。ラヴェルの楽曲は使用しておらず、フランス語のタイトルは『Daphnis et Chloé』ではなく『Daphnis é Chloé』である。
外部リンク
- 『ダフニスとクロエ』全曲の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- 『ダフニスとクロエ』第1組曲の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- 『ダフニスとクロエ』第2組曲の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- 「ダフニスとクロエ」 評伝 "Bolero: The Life of Maurice Ravel"(マデリーン・ゴス著、1940年出版)からの翻訳記事。



![ラヴェル《ダフニスとクロエ》全曲、ラ・ヴァルス[CD] 小澤征爾/ボストン交響楽団 UNIVERSAL MUSIC JAPAN](https://content-jp.umgi.net/products/uc/UCCG-5104_umZ_extralarge.jpg?12052017115700)
