北村 正司(きたむら しょうじ〈まさじ〉 , 1928年6月2日 - 1981年1月16日)は、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii)出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手)。

来歴・人物

日系二世。フォートコリンズ農工大、ノンプロの地元球団・ハワイ朝日を経て、1952年シーズン途中に守田政人と共にスカウトされ、大毎オリオンズに入団。

小柄でパワーに欠けたものの、内野ならどこでも守れたユーティリティープレイヤーとして活躍した。

1953年にはリーグ最多の32犠打(当時の歴代記録では、1942年に猪子利男〈南海〉がマークした33犠打に次ぐ2位の記録だった)を記録した。

1954年限りで現役引退した。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 3 (1961年 - 1963年)

脚注

関連項目

  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧

外部リンク

  • 個人年度別成績 北村正司 - NPB.jp 日本野球機構

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北村選手 東京ヤクルトスワローズ

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