ベニー・カーターBenny Carter、1907年8月8日 - 2003年7月12日)は、アメリカ合衆国のアルト・サックス奏者、クラリネット奏者、トランペット奏者、作曲家、編曲家、バンドリーダー。1930年代から1990年代のジャズ界における大物ミュージシャンで、彼を「王(King)」と呼ぶミュージシャンもいた。私生活では1979年にHilma Ollila Aronsと結婚し、娘が1人、孫娘が1人いる。

生涯

1907年ニューヨーク生まれ。6人姉弟の末っ子で、長男だった。最初は母親からピアノの手ほどきを受けたが、おおむね独学で音楽を修め、15歳のときからハーレムのナイト・スポットで活動していた。1924年から1928年にかけて、ニューヨークのいくつかのトップ・グループでプロとしての経験を積んだ。

若いころはハーレムでデューク・エリントン楽団のスター・トランペッター、ジェームズ・バッバー・マイリー の近所に住んでいた。カーターはマイリーに刺激されてトランペットを始めるが、彼のようには吹けないことを悟りサックスに転向した。その後の2年間、コルネットのレックス・スチュワート、クラリネット、ソプラノ・サックスのシドニー・ベシェ、ピアノのアール・ハインズ、ウィリー・ザ・ライオン・スミス、ファッツ・ウォーラー、ジェイムス.P.ジョンソン、デューク・エリントンなどのグループで活動した。

最初の録音

1928年、チャーリー・ジョンソン楽団にて初録音を行なう。編曲も手がけ、翌年には自身の楽団を結成。

1930年から翌年にかけてフレッチャー・ヘンダーソンと共演し、彼の楽団のチーフ・アレンジャーとなる。その後は短期間だがデトロイト出身のMcKinney's Cotton Pickersを率いたのち1932年にはニューヨークに戻り、チュー・ベリー(テナー・サックス)、テディ・ウィルソン(ピアノ)、シドニー・カトレット (ドラムス)、ディッキー・ウェルズ(トロンボーン)などとビッグバンドでの演奏活動をした。

カーターの編曲は洗練されており、複雑巧緻で、『Blue Lou』を含む多数の楽曲が他のバンドに取り上げられたほか、デューク・エリントンなどにも編曲を提供している。その手腕は卓越したもので、中でも『Keep a Song in Your Soul』(フレッチャー・ヘンダーソン作、1930年)、サックスの流れるような編曲の『Lonesome Nights』『Symphony in Riffs』(1933)などが特筆される。

1930年代初期にはジョニー・ホッジスとともに主要なアルト・サックス奏者のひとりと目された。この頃、再び手にするようになっていたトランペットの演奏機会も増え、ソロも取るようになった。

1932年、カーターの名前が初めてクレジットされたレコード『Tell All Your Day Dreams to Me』(クラウン・レーベル)発売。名義は「Bennie Carter and his Harlemites」となっている。

この楽団の活動期間は短かったが、ニューヨークのハーレム・クラブへの出演のほか、いくつかの素晴らしい録音をコロムビア、オーケー、ヴォーカリオンなどに残している。オーケー・レーベルへの録音では、カーター自身の愛称ともなった「チョコレート・ダンディーズ」の名義を用いた。

1933年10月録音のチョコレート・ダンディーズ名義による 『Once Upon A Time』( OKeh 41568、続いてDecca 18255、Hot Record Society 16としてリイシューされた)におけるトランペット・ソロは長い間ソロ演奏の金字塔とされた。

また、同年にはイギリスのバンドリーダー、スパイク・ヒューズと眩惑的なビッグバンド・セッションを行なっている。このセッションで録音された18曲はイギリスのみでリリースされ、名義は『Spike Hughes and His Negro Orchestra』となっていた。この常時14名から15名の編成によるバンドにはヘンリー"レッド"アレン (トランペット)、ディッキー・ウェルズ (トロンボーン)、ワイマン・カーヴァー(フルート)、コールマン・ホーキンス(サックス)、J.C. Higginbotham(トロンボーン)、チュー・ベリー(サックス)などが在籍していた。

この時期、カーターが残した楽曲には『Nocturne』『Someone Stole Gabriel's Horn』『Pastorale』『Bugle Call Rag』『Arabesque』『Fanfare』『Sweet Sorrow Blues』『Music at Midnight』『Sweet Sue Just You』『Air in D Flat』『Donegal Cradle Song』『Firebird』『Music at Sunrise』『How Come You Do Me Like You Do』などがある。

ヨーロッパ

1935年、ヨーロッパに移住。ウィリー・ルイス楽団での活動のほか、BBCダンス楽団の編曲も担当し、いくつかのレコードを作った。続く3年間はヨーロッパをツアーし、イギリス、フランス、スカンジナビア地方の最高のジャズマンや、友人のコールマン・ホーキンスのようにヨーロッパにやってきたアメリカ人スターたちと共演し、録音も残している。

その中では、1937年のジャンゴ・ラインハルト、コールマン・ホーキンスとの『ハニーサックル・ローズ』が有名で、後に1961年のアルバム『Further Definitions』でも同曲が演奏された。

ハーレムへの帰還、ロサンゼルスへの移住

1938年、カーターはアメリカに戻り、あらたに結成した自楽団を率いて1939年から翌年にかけてハーレムの有名なサヴォイ・ボールルームに出演した。彼の編曲は人気があり、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、レナ・ホーン、グレン・ミラー、ジーン・クルーパ、トミー・ドーシーなどによって録音された。しかし、カーター自身のヒット曲はビッグバンド時代にElla Mae Morseによって歌われた『Cow-Cow Boogie』というノベルティ・ソング1曲のみである。その他1930年代にカーターが作編曲家として残した楽曲では『When Lights Are Low』『Blues in My Heart』『Lonesome Nights』などが古典とされている。

1943年、ロサンゼルスへ移住した後はスタジオの仕事が増え、『Stormy Weather』(1943)をはじめとする多くの映画・テレビ音楽を担当した。 ちなみに、カーターは黒人として初めて映画音楽を作曲した1人であり、クインシー・ジョーンズはカーターを師と仰ぎ、1960年代に彼がテレビや映画の仕事を始めた時にもカーターを参考にしている。

ハリウッドでは、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン、ビリー・エクスタイン、パール・ベイリー、レイ・チャールズ、ペギー・リー、ルー・ロウルズ、ルイ・アームストロング、フレディ・スラック、メル・トーメなどの編曲を担当した。なお、ビリー・ホリデイとは1958年のモントレー・ジャズ・フェスティバルでも共演している。

1945年には、マイルス・デイヴィス(トランペット)がサイドメンとしての初レコーディングをカーターの『Benny Carter and His Orchestra』というアルバムで行なっている。

1958年、アール・ハインズ(ピアノ)、リロイ・ヴィネガー(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)の新旧世代の混成メンバーによる1920年代アメリカのヒット曲を採り上げたアルバム『スウィンギン・ザ・20'S』を発表。続く1960年代にも新旧混成メンバーのビッグバンドによる『Further Definitions』(1961年)や、編曲を担当したペギー・リーの『ミンク・ジャズ』 (1962)などのスタジオ録音を残している。

1960年、自身のカルテットでオーストラリアを訪問。

1968年ニューポート・ジャズ・フェスティバルでディジー・ガレスピーと共演、同年スイスのバンドと録音する。

後進の育成

1969年にプリンストン大学の社会学教授モロウ・バーガーの招きで、同大学にて講義・セミナー・演奏会を行ない、続く9年間で5回プリンストンを訪れ、1973年には客員教授として1学期間務めた。1974年、プリンストンはカーターに人文科学の名誉博士号を贈った。

他の大学でもワークショップやセミナーを開き、1987年にはハーバード大学で1週間講義した。 Morroe Bergerは著書『Benny Carter - A Life in American Music』(1982年)でカーターのキャリアを扱った。

晩年

1989年晩夏、ニューヨークのリンカーン・センターでカーターの82歳の誕生日が祝われ、エクスタイン・アンダーソンやシルヴィア・シムスが彼の歌を歌った。同週にはシカゴ・ジャズ・フェスティバルで、『Further Definitions』が再演された。

1990年2月、リンカーン・センターにおけるエラ・フィッツジェラルドを讃えるセレモニーで、カーターはオールスター・ビッグバンドを指揮した。

1997年にカーターは現役を引退。翌年にはリンカーン・センターから表彰され、セレモニーでウィントン・マルサリスやダイアナ・クラール、ボビー・スコットが彼の音楽を演奏した。

2003年7月12日、カリフォルニア州ロサンゼルスのCedars-Sinai Hospitalにて気管支炎の合併症で亡くなった。95歳。

受賞歴

  • 1977年 - 『ダウン・ビート』誌ジャズの殿堂入り
  • 1978年 - 黒人映画制作者の殿堂入り
  • 1986年 - NEAジャズ・マスターズ
  • 1990年 - 『ダウン・ビート』誌年間ベスト・ジャズ・アーティスト賞
  • 1990年 - 『ジャズタイムズ』誌年間ベスト・ジャズ・アーティスト賞
  • 1994年 - ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得
  • 2000年 - NEA国民芸術勲章受勲

グラミー賞

  • 受賞:3回
  • ノミネート:9回

ディスコグラフィ

アルバム

作曲家として

  • "Blues In My Heart" (1931年) ※アーヴィング・ミルズとの共作
  • "When Lights Are Low" (1936年) ※スペンサー・ウィリアムズとの共作
  • "Cow-Cow Boogie (Cuma-Ti-Yi-Yi-Ay)" (1942年) ※Don Raye&Gene De Paulとの共作
  • "Key Largo" (1948年) ※Karl Suesdorf&Leah Worthとの共作
  • "Rock Me To Sleep" (1950年) ※Paul Vandervoort IIとの共作
  • "A Kiss From You" (1964年) ※ジョニー・マーサーとの共作
  • "Only Trust Your Heart" (1964年) ※サミー・カーンとの共作

他に "A Walkin' Thing", "My Kind Of Trouble Is You", "Easy Money", "Blue Star", "I Still Love Him So", "Green Wine" , "Malibu"等が存在する。

編曲家として

コンピレーション

  • The Music Master: Benny Carter (2004年、Proper Box) ※1930年-1952年録音
  • Royal Garden Blues (Quadromania: Benny Carter) (2006年、Membran/Quadromania)

映画

  • 『ブラック・ライダー』(Buck and the Preacher) - 1972年のアメリカ西部劇映画の作曲。

参照

外部リンク

  • https://www.allmusic.com/artist/p55923- brief biography by Scott Yanow for Allmusic
  • Benny Carter Audio Collection, Institute of Jazz Studies, Dana Library, Rutgers University, Newark, NJ.
  • Benny Carter's Music - Past Perfect
  • Discography
  • Benny Carter's entry in Jazz Improv magazine
  • Norman Granz introduces Coleman Hawkins on tenor and Benny Carter on alto - Jazz At The Philharmonic for the London BBC
  • Carter biography on swingmusic.net
  • Jazz Conversations with Eric Jackson: Benny Carter from WGBH Radio Boston

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